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光がさしてきた瞬間。   

光がさしてきた瞬間。_f0036028_1741380.jpgこのところ飲んでいたフラワーエッセンスは、執着や後悔、過去の抑圧された感情を解放して過去から学ぶというテーマと解放と自由がテーマのエッセンスが入っていたためか、小さな頃の家族に関する思い出などが記憶にたくさんよみがってきては、なんともいえない感情を感じたり、すっきりしない日々が先週続いていました。

小学生の頃の祖父母も一緒の食事のシーンでは、私が少しでも正座をくずすと横から母が私の足をこっそりたたいたり、箸の持ち方や食べ方をいつも注意していて、食事中話すことにも細かく注意をされていたのでだんだんと話をしなくなって、食事中は皆が無言で静まりかえっていて、どこか冷たい雰囲気がただよっていました。父は仕事が遅かったので一緒に食事をしたことはほとんどなく、あったとしてもやはり無言の食卓でした。

日曜といえば父に朝早くから起こされて家族皆で掃除とか、母の外出中に妹の面倒と掃除を任されて、必ずその掃除の仕方が悪いと怒られて私だけが泣きながら掃除をしていて、何もしなくても遊んでいればよい妹がうらやましかった苦々しい思い出とか、やるせない気持ちや抑圧された気持ちがたくさん出てくるのがとても重かったです。とにかく今は家族に対する昔の思いを手放して過去を癒す必要があるのだなあと感じていました。

ちょうど学校の仕事の時期だったので、はっと気づくような出来事がありました。あまり書くべきことではないでしょうが、全く正反対の雰囲気の2つのクラスがあって、片方は、皆すごくお行儀がよくて真面目で、こちらとしてはやりやすいけれど、感情表現がほとんどなくて、他のクラスで皆がどっと笑うようなユーモアのある場面でも遠慮がちなのか、やや無表情なクラスがありました。完璧だけど子供として何かが足りないようなそんな印象でした。そこの先生もとても几帳面でしっかりしていて完璧なお手本のような感じなのです。一方のクラスは皆が感情の表現が豊かすぎるほど喜怒哀楽が激しくて、やや好き勝手で、とても骨が折れるクラスで、この2つはまさに対極にありました。

同じ日に少し驚くことがありました。手を焼いたクラスが最後の授業では皆が喜怒哀楽の哀と怒の部分がなくなり、とてもよい雰囲気になっていて、私がうっかり間違えたときも温かな笑いがおき、終始和やかなムードでした。真面目なクラスのほうも、一人だけそんなに堅苦しくない感じの子がいて、何かを早とちりして言い間違えたとき、クラスにようやく小さな笑いが起こり和やかなムードが漂いました。うまく言えませんが、全く違う雰囲気のクラスの中で同じようなことが起こり、私自身も普段あまりしない間違いをしたので、このことには何か意味があると思いました。

そしてふと気がついたのです、私が自分の家族にもっと求めていたのは温かさやユーモアだったのです。完璧でなくても、ミスをしても笑って見過ごしてくれるようなおおらかな温かな部分だったのです。私自身の子供の時の様子も、真面目なクラスにいるようなタイプの子供とそっくりだったので、知らず知らずに信念になっていた、真面目で完璧でいることが決してよいことでもないというのを目の前で体験して、ようやく過去から解き放たれたようでした。

他にもあっと思う出来事はあったのですが、その日からぱあっと目の前が明るくなったように、もやもやした重い気持ちもすっかりなくなって、これらのエッセンスがもう必要でなくなったことがわかりました。それで新しいことへの興味や新鮮な気分がわいてきたんでしょうね。次に何が起こっているのかわかりませんが、しばらく浄化はこりごり(^^;)なので、楽しい軽やかなことがあるといいなあと思います。

by Glaurie | 2008-02-18 19:41 | フラワーエッセンス

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