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不安と恐怖ではなく、信頼するという選択肢   

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近頃は驚くほどにはっきりとしたメッセージを直感などから受け取るようになってきました。

それは、近い未来に起こることへの準備を促すものであったり、どんな風にそれがやってくるのか、孫を見守る祖父母のような、あたたかな目を持った存在が身近にいて応援してくれているかのような感覚です。

やってくる直感が信じられない、と反応したとしても、『信じるということ、エゴの声には耳をかさずに、疑うのではなく、流れとしてやってくることに、大きく心を開いてほしい』というように伝えてくるようです。

今はそれを信じて実践するということにかなりの抵抗や心の中の壁を取り除いている状態ながら、直感の声に従った後の展開をみると、不安や心配にエネルギーを注ぐことがどんなに日常生活を台無しにしているのか、ということを感じます。

そして、これまでの生き方において、どれだけ不安や心配からわきあがるネガティブな将来予測を防ぐための防衛のための選択をしていたか、ということもわかってきます。

今までどれだけの心配と気苦労を背負って暗い道を手探りで進んできたのだろう、というぐらいの違いを感じます。

それは、最悪の事態が起こらないよう、どれだけの努力との我慢をしなければならないか、よりよい未来があることを完全に否定したかのような、脅しの言葉を長年心に刻みながら、恐る恐る世の中を、危険な場所として捉えて生きていたということです。

よりよい未来に自らの決断で進んでいくことを、親や周囲から励まされ応援され向かっていったのではなく、

子供であるあなたには、そんな力も判断力もないから、非常事態に備えながら、皆が進む安全な道を言うとおりに従って歩いていかないと、ひどい目にあう、という脅しに怯えながら進んでいたような感覚です。

古くから心に刻まれた恐怖に満ちた世界を抜け出すのは、自分を信じながら、自分が見守られているという安心感に包まれながら、信頼して前に進んでいくことなのだと実感します。

世の中の不安に駆られたささやき声に惑わされることなく、自分が向かう道は、例え世間がいうところの失敗やまわり道をしたとしても、自分が自分を信じていれば、それは経験としてまた大きな力になり得るものです。

自らが責任を持って進むという選択をすることは、人から行くようにと勧めらたことがあまりよい結果にならなかったときに責任転嫁を生み出すのと違って、学びと経験を重ねていく、という体験になるのだと思います。

そしてそのような道に進むと決めたとき、太陽から注がれる光を浴びた道を様々な応援と支えや励ましと共に歩くことなのだと思います。

by glaurie | 2014-03-08 22:16 | 身のまわりの出来事

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