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マナカードと入院中の気づき。   

昨日久しぶりにマナカードを引いてみました。出てきたカードはALOHA(アロハ)。
白いハイビスカスと虹をバックに子供の手と大人の手が重なった絵柄のカードです。このカードが出るととても気持ちがあたたかくなって体や心から緊張が抜けていく気がします。

それはこのカードの絵がかもしだしている雰囲気のせいもあると思うのですが、ALOHAという言葉自体が持つ言霊のような力もあるのでしょう。ALOHAという言葉はハワイで挨拶に使われるのですが、この言葉には実はたくさんの意味があって愛、調和、謙遜、忍耐、慈悲といった要素が含まれているのです。(マナカード、ポーマイカイより引用)

アロハのカードのテーマは愛。それも男女関係の愛というより、穏やかさや寛容、思いやりを放つ慈しみを与える愛がテーマです。自分に与える愛も含まれます。

入院中気がついたことのひとつは、多くの看護婦さんや担当の先生から具合を聞かれるたびに、いつも無意識に「大丈夫です。」と口癖のように最後につけ加えていたこと。ふとどうして私はいつもどんな質問に対しても大丈夫ですって答えてるのかしら?と思ってよくよく考えてみたのです。「大丈夫です。」と答えた中には、「(痛みを少し感じているけど)大丈夫です。」とか、「(○○だけど、私は)大丈夫です。」という意味合いが含まれていたのです。

大きな痛みを感じているときだけは痛いですと答えているんですが、自分で小さな痛みと思っていることに関してはそれが実際小さな痛みでなくても、痛いと言えずに大丈夫ですと答えていたんです。

思えばいつも痛みをたいしたことないと我慢していたり、弱音を吐いてはいけないとか、どこかそんな風にいつの頃からか(多分子供の頃からなんだと思いますが)、思い続けていたんでしょうね。

まわりの親しい人から辛いときは辛いといっていいんだよと言われたり、そういう気持ちを自分に話してくれないのが寂しいなどと言われたことも何度かあったのですが、自分では自分がそう感じていることすらわからなかったというか、感じることすら止めていたようです。もちろん全く弱音を吐かない訳ではなく、愚痴という形や八つ当たりという形で吐き出すことはあったんですが、自分のマイナスの気持ちを素直に表現するということにはフタをしていたような気がします。

そして気づいたことに、痛みを感情に置き換えても同じことがいえました、私は小さなこと(痛み、怒り、悲しみなど)を何度か我慢して抑えて、抑えて・・・ひどくなったらアクション、ようやく伝える、それも素直にではない形でっていうことを何度か繰り返していたと思うのです。

それで入院中、はっと、痛いときにはそれがどんなに小さな痛みでも伝えてよいのだ、という当たり前なことに、ようやく気がついたのです。だって相手の職業上、それを知らないと逆に困るのですから・・・。いきなり大事になって相手を慌てさせ、痛みを前から感じているんならどうしてもっと早く言わなかったの?っていうことになる、というパターンは私の他の感情パターンにもそのままそっくり同じパターンだったのです。

痛みや悲しみ、辛いことを他人に伝えることは決して悪いことではないし、それを相手に伝えることで痛みが軽減したり、わかちあうことだってできるし、それをうれしいと思ってくれる人もいるのだというのが、ようやく自分の中で奥深くに入っていたというのでしょうか。(ぴったりする表現がみつかりません、ん~。)夜な夜な思いつくまま書いているので、すべてがとてもわかりにくい文になっていると思いますが、ようやく自分の中でこの痛みの部分が溶けていくような気がします。

by Glaurie | 2007-04-12 00:00 | 身のまわりの出来事

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